ちょいのすけ日記:ミニマルに生きる旅・生活・ガジェット記録

モノは少なく、体験は多く。ミニマリスト「ちょいのすけ」が、身軽な旅、快適な暮らし、選び抜いたガジェットについて試行錯誤した記録を綴ります。「なるほど」と思える発見を、あなたにも。

【一個人の考察】書店と図書館の未来を考えてみた。データで覆る「定説」と、その先に見える希望

「図書館が本を無料で貸し出すから、町の書店が潰れるんだ」

長年、まるで定説のように語られてきたこの言葉。私自身も、本を愛する者として、この「図書館 vs 書店」という悲しい対立構造をどうにかできないものかと、10年近く考え続けてきました。

こんにちは。都内で働く、ごく普通の会社員です。専門家でも何でもありませんが、ただ「知」や「本のある空間」が昔から大好きで、この問題について素人ながらに資料を読み漁っては、考えを巡らせるのが趣味のようなものです。

しかし、もし。 もし、この「図書館の貸出が、本の売上を減らしている」という大前提そのものが、実は「思い込み」だったとしたら、どうでしょうか?

最近、私はいくつかの学術論文に出会い、衝撃を受けました。特に、経済学の統計手法を用いてこの問題を分析したある論文は、「両者の間に、統計的に意味のある因果関係は見られない」と結論付けていたのです。つまり、貸出が増えた時期と売上が減った時期が重なるのは、結果論としての「偶然」であり、直接的な原因と結果ではない、と。

この事実は、私の中で長年組み立ててきたパズルを、ガラガラと崩すような衝撃でした。そして同時に、書店と図書館の未来を、全く新しい視点から考え直すきっかけを与えてくれたのです。

本稿では、専門家ではない、いち本好きの立場から、この10年の私の思考の変遷と、最近の発見がいかに衝撃的だったか。そして、その先に見えてきた新しい希望について、今考えていることを書き綴ってみたいと思います。


私の原点:10年前に考えた、素朴な疑問と3つの夢想

まず、全ての出発点である、10年前に私が「こうだったらいいのに」と考えていたことの骨子を振り返らせてください。

素朴な疑問:なぜ、図書館と書店は手を取り合えないのか?

当時、私が不思議でならなかったのが、図書館と書店の「すれ違い」でした。図書館は税金で運営される「公共サービス」として、利用者の要望に応えようとする。一方、書店は利益を追求する「経済活動」として、本を売らなければならない。同じ「本」を扱っていても、その論理(OS)が全く違う。この構造的な断絶が、協力ではなく対立を生んでいるように見えました。

3つの夢想

この「すれ違い」を乗り越えるために、素人ながらにこんな3つの連携を夢想していました。

  1. 需要を分け合う:図書館で予約待ちの長い本は、近所の書店で買えるよう案内する。
  2. 場所を共有する:書店で図書館の本を返せたら、すごく便利じゃないか。
  3. 人が交流する:図書館員さんと書店員さんがお互いの仕事を体験したら、きっと新しいアイデアが生まれるはず。

これらは、両者がお客さんを奪い合う関係から、地域の本好きを一緒に増やすパートナーになれたら、という素朴な願いでした。


この10年で何が変わったのか?ー常識を覆すデータとの出会い

では、この10年で私の考えはどう変わったのか。それは、常識が次々と覆されていく、驚きの連続でした。

第一の衝撃:書店消失の、より根深い理由

まず、目を背けてはならないのが、書店の「消失」です。JPICの調査では、全国の市区町村のうち、実に27.9%にあたる486自治体には書店が1店もないという現実があります(2024年3月時点)(※1)。

私は当初、この原因をAmazonや図書館のせいだとばかり考えていました。しかし、飯田一史氏の『町の本屋はいかにしてつぶれてきたか』を読んで、その考えが浅はかだったと気づかされました。この本が明らかにするのは、書店の苦境が、戦後のいびつな流通システム(再販制度・委託販売制度)や、大型書店と中小書店の間の根深い抗争の歴史に根差しているという事実です。つまり、問題はここ10年のデジタル化や図書館の貸出増以前から、構造的に存在していたのです。

第二の衝撃:「競合」と「補完」の二重構造

次に私の常識を揺るがしたのが、志村瑠璃氏の論文「図書館が媒介しようとしている本と書店が媒介しうる本の重複と乖離」です。この論文が示すデータは驚くべきものでした。

  • 発見1:図書館にある蔵書のうち、約67%は書店で新品として買える本と重なっていた。
  • 発見2:逆に、出版社で在庫がなく書店では買えない本のうち、約67%は図書館に所蔵されていた。

(志村瑠璃氏の論文より要約)(※2)

これは何を意味するでしょうか? まず、書店側の「図書館に客を奪われている」という懸念は、確かにデータ上も無視できない事実(67%の重複)であることがわかります。

しかし同時に、図書館が「書店ではもう手に入らない知のセーフティネット」としての役割(在庫切れの67%をカバー)を、見事に果たしていることも証明されたのです。

つまり、図書館と書店は、「競合」「補完」という二つの顔を同時に持つ、極めて複雑な共存関係にある。この論文は、「図書館 vs 書店」という単純な対立の構図を、客観的なデータによって解体してしまったのです。私にとって、この10年で最も知的に興奮した発見でした。

第三の衝撃:「貸出は売上に影響しない」という計量分析

そして、とどめの一撃となったのが、貫名貴洋氏の論文「図書館貸出冊数が書籍販売金額に与える影響の計量分析の一考察」でした。

(図書館貸出冊数の増加と書籍販売金額の減少という)両者の変数間に負の因果関係があるという結論に陥りやすい。…(しかし統計分析の結果)両者の間には因果関係の存在を認めることができなかった。

(貫名貴洋氏の論文より要約)(※3)

専門的な統計手法について私は素人ですが、論文の趣旨は「貸出が増えたからといって、売上が減ったとは言えない。それは、全く別の要因でたまたま同時に起きたことに過ぎない(見せかけの回帰)」というものです。これは、「無料貸本屋」論争の根幹を揺るがす、あまりに衝撃的な結論でした。

これらの発見は、私に「書店がなぜ潰れるのか?」という問いだけでなく、「図書館とは、そもそも何のためにあるのか?」という、より本質的な問いを投げかけてきました。そのヒントをくれたのが、皆川登紀子氏の修士論文です。この論文は、図書館の役割を「知の共有(文化の多様性を守る)」と「アクセス保障(市民の読みたいに応える)」の二つの公益性から分析しており、長年の論争が、実はこの二つのミッションの間の緊張関係でもあったことを教えてくれました(※4)。


私が夢想する、これからの書店と図書館の未来図

「貸出は売上に影響しない」「書店消失の原因はもっと根深い」「図書館と書店は競合しつつも補完し合っている」。 これらの新しい事実のピースを組み合わせたとき、10年前に描いた夢想は、全く新しい姿で立ち上がってきました。

1. 「競合」を「連携」に変える、滑らかな送客システム

志村論文が示すように、図書館と書店には約67%の「競合」領域があります。ならば、その重複部分こそ、連携のチャンスに変えるべきです。図書館のサイトで本の予約ボタンを押したとき、「10人待ちです」という表示の横に、「〇〇書店の在庫を見る(購入可)」というボタンが当たり前のように表示される。ワンクリックで、予約の列から購入のレジへと滑らかに移行できる。そんな連携が、技術的にはもう可能なはずです。

2. 「補完」機能を最大化する、知のセーフティネット

一方で、図書館にしかない「在庫切れの本」という、約67%の「補完」領域。この価値をもっと可視化できないでしょうか。例えば、地域の図書館が持つ「絶版・品切れだが価値ある本」のリストを書店でも閲覧でき、取り寄せや複写の相談ができる。「新品は書店で、手に入らないものは図書館で」という役割分担を、市民が自然に理解し、使い分けられる仕組みを整えるのです。

3. 「公営書店」という希望のモデル

そして、青森県八戸市「八戸ブックセンター」のような挑戦です。行政が「貸す」だけでなく、「買う・創る」という文化活動そのものを支援する。これは、これからの「知のインフラ」の、一つの理想形かもしれません。


おわりに:未来は、私たちの「知りたい」という気持ちの先にある

10年前、私はこの問題を「不幸なすれ違い」と表現しました。でも今は、少し違う見方をしています。これは、日本の「知のインフラ」を、私たち市民自身がどう使いこなし、育てていくかという、未来に向けた壮大なプロジェクトなのではないか、と。

出版人の小尾俊人氏の、この言葉が大好きです。

著者は種おろしであり、出版者は苗をそだてる人、書店は摘みとった糧をひろく播き、古本屋と図書館は刈り入れて、整理し、保存する人である。

(小尾俊人『本は生まれる。そして、それから』幻戯書房, 2003)

この美しい「知の生態系」を、未来に残したい。国がようやく重い腰を上げた今、その担い手は、行政や業界の人たちだけではありません。知を愛し、その価値を信じる私たちが、地域の図書館や書店に足を運び、本を手に取り、「こんな場所になったらいいな」と声を上げていく。その一つ一つの行動こそが、この国の「知」の風景を、次の10年で変えていく力になるのだと、一人の本好きとして、強く信じています。


【今回、思考の糧となった書籍・論文】